2020.06.18
昭和生まれ
こんにちは。農業コンサルタントの山下弘幸(やましたひろゆき)です。
今回はちょっと昭和を思い出してみたいと思います。
昭和っていい時代でしたよね。
私の父は昭和16年生まれ、私は44年生まれです。
私の家は農家でしたので家には牛や馬がいて農作業に欠かせない存在でした。
さすがに私が物心ついた時にはもう、牛も馬もいませんでしたが、まだ近所では牛を引いて河原に連れていく風景が見られました。
ニワトリも各家庭で飼っていたので毎日生みたての卵は我が家の大事なごちそうでした。
今の子供たちはパックに詰められた卵しか知らないかもしれませんが、生みたての温かい卵は命を感じることができ姉弟で1個の卵を割って食べた卵かけご飯はとてもおいしかったことを今でも覚えています。
子供のころ食べた味って大人になっても覚えているらしいんです。
よく、「おふくろの味」って呼ばれるでしょ。
それが、子供のころ覚えていた味なんです。
今思えば、我が家はなんでも自給していた気がします。味噌は麦みそで、その自家製の麦を使っていました。
その麦みそを使って漬物をつけていて、自家製のお米はもちろん、その稲わらでたい肥を作り、稲わらを編んで納豆を混ぜ込んで作っていました。
さらには
それを干した「こるまめ」(肥後の干し納豆)も我が家では定番の食べ物でした。
大根も千切りにしたものを干した切り干し大根を手作りしていました。
梅干しも梅も庭にある梅をとってその時期に合わせて紫蘇を植えて・・・
我が家の梅干しはこれまで食べた梅干しでも最高にしょぱい。
まだこの記録はぬかれていません。
年末になるとお餅も自宅でついていました。
大豆も自家製、さすがに豆腐は作っていなかったけれど、大豆を擦ってきな粉を作って
きな粉餅にしてよく食べていたような記憶があります。
子供のころのおやつと言えば、カチカチになったお餅をスライスして油で揚げたやつで我が家では「おかき」って呼んでいました。カビの生えた餅のカビの部分をナイフで削り落としながら結構1年中食べたような気がします・・・
結構ワイルド!(笑)
ポテトチップなんて上品なおやつを食べたのはいくつの時だろう?
こんな話をするといつの時代の話?って思われるかもしれませんが、私の田舎は山奥で
お店がなかったんです。
だから
移動式八百屋さんが毎週水曜日にやってくる。この時いろいろと買うのが主流だったんです。楽しみだったな~。我が家ではこの移動式八百屋をお魚屋さんって呼んでいました。
山奥の我が家では珍しく生鮮魚を持ってきてくれるからです。
遠くから三波春夫の「チャンチキおけさ」が流れてくると
「お魚屋さんが来たー」って走って行ってました。
ほかにも
小麦粉を練って棒状に切り、それを湯がいて食べるのがうどん。(熊本名物だご汁)
小麦粉を練って平たくしたモノを焼いて食べるのがホットケーキ。(熊本名物?焼きだご)
今考えると、今では郷土料理として人気の食べ物ばかりですね(笑)
おかげさまで自然のモノしか食べていなかったのでめったに風邪ひかない丈夫な体に育ちました。
添加物のない暮らしって味気なかったんですが、今思えばどれも贅沢な暮らしだったんだなーって思っています。
今どきの若い方にはなかなか共感してもらえないかもしれませんが、私より上の方には
共感していただけると思います。
別に、自然の暮らしをした方がいいよとか、無添加生活が豊かだよとか
押し付けているわけではありません。
ただ、最近の新型コロナウイルスで社会に与えた影響を見ると、
そのころのスローフードは、ナチュラルライフは結構貴重な体験だったんだなーって
今は、逆にそんな自然に触れたり、不便な暮らしをする方が難しくなっていますよね。
便利に慣れすぎてしまったのかもしれませんね。
私は農業をやっていました。今はコンサルとして農業者のサポートに回っていますが、
農の暮らしを経て農の生き方をプロデュースしています。
農村社会で暮らしていると農的な生き方の良さがわかりませんが、
都会で暮らしている方はその農的な暮らしに憧れたりされるようです。
私のところにも都会の雑踏から離れて田舎で暮らしたい
農業を始めたい。農的な人生を過ごしたいって方がたくさん相談に来られます。
そういった方々はこれからますます増えると思います。
なぜなら、昭和生まれはやっぱり昭和が好きなんです。
久しぶりに田舎に行って昭和を思い出して見られてはいかがでしょうか。