2020.11.17
世代交代
【第十三話・2008年〜2011年】
物事は始める時よりも、辞める時の方がずっと難しく、
身を引くタイミングは、経営者にとって最大の決断と言っていいかもしれません。
創業者の場合、その悩みや迷いはさらに深いのではないでしょうか。
直売所での箱売り卵が大ヒットし、事業内容を拡大し始めていた平成11(1999)年の暮れのこと、
専務と常務を務めていた2人の弟と長男の義清に集まってもらいました。
後継を話し合うためです。
私自身、次期社長はこの3人の中からと決めていたため、直接3人の意見を聞くことにしたのです。
弟2人はいずれも「義清くんにお願いしたい」との返答。
1時間足らずで方針が決まりました。
その頃、私は50歳でした。事業継承を決めるのは早すぎると思われるかもしれませんが、
社長というポストの交代だけでなく株式も全て譲るつもりだったため、早めに準備する必要があったのです。
「身の丈」「機が熟す」「空気を読む」
仕事をやっていく中で、私はこの3つを重視してきました。
時機や周囲を読み取る感覚はとても大切です。経営の移譲にもそんな視点が必要だと思い、
この決断に至ったのです。
社長交代は、「たまご庵」落成式の2週間前の平成23(2011)年1月1日に行いました。
さて、ここで息子の話しを少しさせていただきます。
息子は、岐阜にある国産鶏最大の「後藤孵卵場」で2年間修業し、平成9年に当社に入りました。
生産から営業、販売と全部門を経験し、35歳の若さで社長に就任したのです。
時期社長決定から10年の間準備してきたトップとの交代です。
まさに、「たまご庵」完成の年は、経営者としての私にとって大きな節目となりました。
それと同時に、息子にとても、農業ビジネスをどう成長させ、次世代につなげていくか。若きリーダーの挑戦が始まったのです。
続いて、「たまご庵」のお話もさせていただきます。
旧本社の物産館「ふれあい館」の増築以降、本業は順調に発展しておりましたが、お客様が増えるにつれ、
周囲では渋滞が発生するなど、近隣の方々へご迷惑をおかけするようになりました。
そこで、現在の場所への移転を決意しました。
たまご庵は、「都市と農村の交流を促進し、農業・地域・環境を未来にしっかりつなげていくこと」をコンセプトに
物産館やレストラン、農産加工室だけでなく、夢とやる気を持った挑戦者の起業支援拠点として12の貸しオフィスや
会議室を併設した複合施設です。
菊池の玄関口ということもあり、情報発信機能の強化を図る目的も持っています。
平成23(2011)年1月15日にオープンした「たまご庵」は、立地の良さもあり、
これまでの「目的買い」に加え、「ついで買い」の方も増え、1年足らずで
来館者が100万人に達したのです。
ある日、お客様から、こんな言葉をいただきました。
「あたげにゃ、昔からたまごば買いに来とった。しっかり頼むばい」と。
重みのある言葉です。
形態は変わっても、コッコファーム はずっと「たまご屋」です。
「店の繁盛は、お客様の心の中に答えがある」
「白金の森」も同じ思いです。お客様の期待を裏切らないように、
みなさまに癒しの時間をお届けしていきます。
次回のブログは……
「達成感」についてのお話です。